藤沢市長 鈴木恒夫氏

ブルーフラッグを藤沢のレガシーへ

藤沢市長 鈴木恒夫氏

インタビュー・文 / 片山清宏・片山久美

 2021年4月。藤沢市の片瀬西浜・鵠沼海水浴場が国内で5箇所目の国際環境認証「ブルーフラッグ」を取得した。

 認定書に書かれた「水質、環境マネジメント、環境教育、安全とサービス、33の基準項目に関して一定以上の基準を満たしていることを証明する」という言葉は、日本最大級の海水浴客を誇るビーチでありながら、「汚い、怖い」とのイメージがついて回った片瀬西浜・鵠沼海水浴場にとって、特別な意味を持つ。

 「きれいで安心安全で誰もが親しめるビーチの実現」に向け、藤沢市や江の島海水浴場協同組合、そして地元の海を愛する人々が地道に努力してきた成果なのだ。

 ブルーフラッグ取得の一翼を担った藤沢市のトップ、第22代藤沢市長・鈴木恒夫氏に話を聞いた。

「いたずら盛り」の少年時代

1950年、藤沢生まれの藤沢育ち。鈴木は、のびのびと、いたずら盛りの少年時代を過ごしたという。

「今のさいか屋さんなどがある辺りに実家がありました。親戚が青果市場を営んでいて、戦争から帰ってきた父は、母とともに朝から晩まで仕事をしていました。私の両親は放任主義だったので、いたずらばかりしてご近所の方に怒られていましたね」

藤沢駅が近かったことから、遊び場は駅の改札。見様見真似で駅員の切符切りごっこをしたり、江ノ電バスが止まるたびに、バスガイドがアナウンスする江の島観光の話を飽きもせずに聞いているような子ども時代だった。

「大道小学校に進学した頃から、お店番をしたりと、お店の手伝いもするようになりました。年末年始の贈答品が売れる時期には、石けんを包む手伝いもしていましたね。不器用だったけど、これだけは得意でよくできた、と褒められましたよ」

学校が休みの日は、友だちと海に出かけた。当時の江の島にはまだヨットハーバーがなく、海の家のボートに乗って、「江の島探検隊」と称して江の島を一周。きらきらと輝く水面にボートを浮かべ、時を忘れて友だちとはしゃぎ合った。

「ボートを漕ぎ出した頃は引き潮だったのに、気づいたら満ち潮になっていて。ボートを泊める場所がないんです。どうしよう、と友だちと崖を見上げて途方に暮れたのを覚えています」

藤沢駅前にて(幼稚園の頃)

東京オリンピック聖火ランナー

 小さな頃から身体の大きかった鈴木は、高学年から陸上の才能を開花させ、進学した藤沢市立藤ヶ岡中学校では陸上競技部に所属。100メートル走で市内1位という輝かしい成績を残した。この実績が買われ、1964年の東京オリンピックでは聖火リレーの随走者に選ばれたのである。

100m走で先頭を走る鈴木市長(中学時代)

 東京オリンピックの聖火ランナーは、トーチを持つ正走者 1 名と副走者 2 名、五輪旗を持つ随走者 20 名で構成された。ランナーは、当時神奈川県に設置された聖火リレー実行委員会が、体育や競技会の成績を考慮して選抜され、正走者と副走者は 16 ~ 20 歳の男性、随走者は中学生から 20 歳までの男女にそれぞれ委嘱された。鈴木は、当時中学3年生で数々の記録を残している陸上部部長。随走者にふさわしい人物だったのである。

 「オリンピックにたずさわれること、日の丸のユニフォームが着られることがとても嬉しかったですね。もう50年以上前のことですし、その時に着たユニフォームを処分しようかなと思っていたんです。そうしたら、まさかもう一度オリンピックが来るとは夢にも思いませんでした」

 10月7日、鈴木は聖火リレーの随走者として藤沢郵便局から藤が谷までを無事に走り抜けた。中継地点となった藤沢市役所前の土手には、聖火を一目見ようと多くの人で賑わったという。10月12日からは江の島でヨット競技がスタート。藤ヶ岡中学校は高台にあったこともあり、窓際の席に座っていた鈴木は、授業中にカーテンがはためくなか、ヨットの帆が見え隠れするのを目で追っていた。

聖火リレーで先頭を走る鈴木市長

 その後、神奈川県内屈指の難関校である県立平塚江南高等学校に入学。文武両道ぶりを発揮する鈴木は、陸上部に所属し、100メートル走、110メートルハードル、砲丸投げ、走り高跳びの5種競技で活躍。その後、得意だった110メートルハードルでは県大会優勝という輝かしい成績を残している。

 「5種競技の中でもハードル走が一番得意で、途中からハードル一本に転向しました。陸上は好きでしたね。ただ黙々と走る。そうすると頭がスーっとするんです。毎日部活が待ち遠しくて」

29歳で政治の道へ

 早稲田大学教育学部を卒業し、民間企業への就職を経て、29歳で政治家になった。

 「大それたものはありませんが、結婚したときに仲人さんからいただいた『仕事に惚れろ、地域に惚れろ、女房に惚れろ』という“三惚れ”を胸に、藤沢市のために力になりたい一心でやってきました。ハードル走と一緒です。倒れることを怖がっていたら前に進めない。政治の道に進むと一度決断してからは、揺らぐことはありませんでした」

 1979年4月。初めての市議会議員選挙では、定数44人中42番目で当選。初選挙こそ辛勝だったが、以後、市議4期、県議5期、そして3期の市長選挙と今日まで連続して地方自治一筋に努めてきた。その強さは、ただひたすらに「藤沢をよくしたい」という政治家としての強い信念ゆえである。

2期目の市長選挙で演説をする鈴木市長

ブルーフラッグを新しいレガシーへ

 そして、2021年4月。藤沢市の片瀬西浜・鵠沼海水浴場が国内で5箇所目の国際環境認証「ブルーフラッグ」を取得した。

 同認証を受けた江の島海水浴場協同組合の森井裕幸理事長は、民間団体として国内初の快挙を鈴木市長に報告した。

 「ここまでの道のりが長かったので、まずはほっとしています」と語り、市や組合員、NPO法人湘南ビジョン研究所をはじめとする市民団体や海を愛する一人ひとりの協力があってここまで来られた、そして、ここからがスタートであり、持続可能なビーチの実現に向け、SDGsの海岸モデルを示すため、これからもみんなの協力を得て進めていきたいと熱く語った。

 これに対し鈴木は、長年、海を見てきて、最近、海を大事に思う人の気持ちをとても強く感じると語った。

 「前回の東京オリンピック前、高度経済成長期の頃の海はどんどん汚くなっていったんです。地元の婦人団体の皆さんが見るに見かねて掃除を始めたのがビーチクリーンの始まり。それが1964オリンピックのレガシーとなりました。今回は、海水浴客の減少をなんとか食い止めようと、『きれいで安心安全で誰もが親しめるビーチの実現』のために組合の皆さんが中心になってブルーフラッグの取組を進められました。しかも、市民だけでなく、遠く県外の方も巻き込んだ活動に発展して、2回目の東京オリンピック開催年に見事取得。今回のブルーフラッグは、2021東京オリンピックでの藤沢の新しいレガシーになりますね」

市民の活躍がまちの基盤に

 最後に、これからの若い世代へ期待することを聞いた。

 「若い世代の皆さんは、それぞれいろいろな道を選択して、いろいろな挑戦をしてもらいたい。でも、いつか地元に戻ってきて活躍してもらいたいなと思っています。今回のオリンピックも、オリンピックそのものも大事ですが、それを支えてくださる『2020応援団藤沢ビッグウェーブ』やシティキャストなどのたくさんの市民ボランティアの方がいればこそ。自分たちの活躍がまちの基盤になるということは、とてもやりがいがありますよ。東洋のマイアミビーチというイメージに少しでも近づけるよう、ブルーフラッグの活動をこれからもみんなで盛り上げていきましょう!」

 江の島、富士山を背景にはためく片瀬西浜ビーチのブルーフラッグは、とても美しいだろう。今年の夏が今から楽しみだ。(了)